「ホーホッ、ホーリャ」
水の音に混じって、谷底からかすかな叫び声が起こった。聞き耳を立てると、同じような叫び声が右の谷からも左の谷間からも聞こえてきた。
 “巻狩りが始まったのだと悟ったとき、「ホーホッ、ホーリャ」の叫び声はすでに岩井ノ又を一斉に包囲していた。
 一瞬、胸の中を震えがよぎった。
声を発する勢子たちの姿は見えなかった。ただ叫び声だけが高く低く峰々にこだましている。
獲物を迎え撃つブッパ(射手)たちは木化けの態勢に入っていた。時おり峰を走る風だけがブナの梢を渡り、あたりの静寂を破った。
勢子の声に追い出され、カモシカが一頭ブッパの目の前を通り過ぎる。だが、ブッパは不動のままこのカモシカを見送った。
勢子たちの叫び声はなおも絶え間なく続く。
狩りはいよいよ佳境に入ってきたのだ。
狩猟民の系譜
 東北地方の山間部に集落をつくり、昔から狩猟を生業としてきた人々のことを“マタギ“と呼んでいる。マタギという言葉は“狩り”そのものを意味するが、語源には多様な説がある。また、狩猟の民マタギは、樵夫、木地師、山窩たちと同じように古来日本列島の山岳地帯を生活の場としてきた山の民であるが、その祖先については謎が多い。
 民俗学者柳田國男は著書『山の人生』でこのマタギに関し次のように記述している。
「マタギの根源に関しては、現在まだ何人も説明を下しえた者はないが、岩手、秋田、青森の諸県において、平地に住む農民たちが、ややこれを異種族視していたことは確かである。」
「菅江真澄の遊覧記の中にも、北秋田の山村のマタギ言葉には、イヌをセタ、水をワッカ、大きいをポロというの類、アイヌの単語のたくさん用いられていることを説いてある。」
 マタギたちが里人(農耕民)たちからやや特殊視されていたとしたら、それは狩猟民独特の生活様式に由来するものと思われる。例えば、マタギは里言葉と山言葉(マタギ言葉ともいう)の二つの言葉を持ち合わせていることだ。里にあっては里言葉を使い、狩りをする山にあっては山言葉しか使わなかった。クマをイタズ、カモシカをアオジシ、鉄砲をシロビレなどと呼んでいる。
 里人からみれば特殊な山言葉を使い、人間の恐れる獣(鬼)を退治するマタギは勇猛果敢で鬼よりも強い鬼、つまり“又鬼”(マタギ語源の一説)と呼ぶにふさわしい存在だったのかもしれない。ただ、マタギの遠祖がアイヌかどうかについては否定的である。「もちろんこれによって彼らをアイヌの血すじと見ることは早計である。彼らの平地人との交通には、言語風習その他に何の障碍もなかったのみならず、すくなくとも近世においては、彼らも村にいる限りは付近の地を耕し、一方にはまた農民も山家に住む者は、かたわら狩猟によって生計を補うたゆえに、名称以外には明白に二者を差別すべきものはないのである。」
 しかし、東北地方にはアイヌ語に由来する地名がいまでも多く残っている。マタギ集落である、、、、などの地名はアイヌ語系といわれる。
 これらの地名、言語(マタギ言葉)からも察せられるように、東北の地はアイヌと全く無縁であったとも考えにくい。
 「ただ関東以西には猟を主業とする者が、一部落をなすほどに多く集まっておらぬに反して、奥羽の果てに行くとマタギの村というのものがある。熊野、高野をはじめとして、霊山開基の口碑には猟師が案内したといい、または地を献上したという例少なからず、それを目して異人、仙人と称していて、通例の農夫はかってこの物語に参与しておらぬのをみると、彼ら山民の土着が一期だけ早かったか、または土着の条件が後世普通の耕作者とは、別であったかということだけは察せられる。しかも猟に関する彼らの儀式、また信仰には特殊なるものが多い。万次、万三郎の兄弟が、山の神を助けて神敵を退治し、褒美に狩猟の作法を授けられたなどという古伝もその一例である。」
「八郎という類の人が山中に入り、奇魚を食って身を蛇体に変じたという話は、広く分布しているいわゆる低級神話の類であるが、津軽、秋田で彼をマタギであったと伝えたのには、何か考うべき理由があったろうと思う。」
 狩猟の民マタギの祖先の歴史を辿るとすれば、それは縄文人の世界までさかのぼらなければないだろう。北海道、東北はもちろん、九州にまで散在していたといわれる縄文人たちの生活、それは狩猟採集を基盤にしたものであった。農耕者の大陸からの渡来によって駆逐されていったこれら狩猟採集人がその後歩んだ道こそ、ネガティブな日本古代史を形づくっている。
山神を拝める狩猟人マタギも古代縄文人の精神世界を陰に陽に受け継いで今日に至った山の民であったろうと直感的に私見する。