サシバは、本州北部以南の各地の低山や丘陵地に夏鳥として渡来する。体長は約50cmで、翼を広げると1mくらいになる中型のタカである。
 早春の4月上旬に渡ってきたばかりのオスは、長旅の疲れをいやすかのようにひっそりとしている。初認日の頃には1羽だったサシバが、数日後には2羽になって飛んでいる。メスも渡ってきたのである。この頃は隣の山にも別のサシバが渡ってきていて、ピックイーピックイーと鳴きながら飛び回っているのがよく見られる。これはナワバリ宣言の行動の1つで、サシバは広さ1qほどの場所をナワバリにして、侵入してくる他のサシバやカラスなどを果敢に追い払う。
 木々が芽吹き始めた里山の上でオスとメスが鳴きながら並んで飛んでいる。アカマツ林の樹間をぬうように2羽で飛んだりする。サシバの求愛飛行である。オスがとったヘビやトカゲなどをメスへプレゼントする求愛給餌も見られる。アカマツ林やスギ林で巣作りが行われ、その巣の近くで交尾が頻繁に行われるようになると、産卵は間近い。
 山里の水田で田植えが始まる4月下旬から5月上旬にメスは2〜4個の卵を産む。そして約1ヶ月の間、主にメスが抱卵する。オスは巣にいるメスのために餌を運んだり、ナワバリの防衛で忙しい。
 5月下旬から6月上旬にヒナが生まれる。その後、約10日間はメス親は付きっきりでヒナの面倒を見る。ヒナを抱いたり、オスが持ってきた餌を引きちぎって口移しでヒナへ与えるのである。ヒナが成長するに連れて、メスも餌とりに出かけるようになる。田んぼ、畑、草地、伐採地などでヘビ、トカゲ、カエル、モグラ、バッタなどをつかまえる。
 まだ梅雨の開けない7月上旬、サシバのヒナたちは巣立つ。その後も1〜2週間は親鳥から餌をもらっているが、徐々に自分で餌のとり方を覚えていく。そして入道雲を背景に若鶏たちがじゃれあっている風景が見られるようになると、夏の到来である。
 繁殖を終えたサシバの親鳥と巣立った若鶏たちは、9月下旬から10月上旬にかけて南国の越冬地である東南アジアに向けて旅立っていく。
 雑木林、アカマツ林、スギ林などが混在する里山がある。いくつもの小さな谷が入り込み、そこには水田や畑がある。谷の入口には人家が点在する。農山村の典型的な自然環境である。こうした場所に好んでサシバたちは住む。しかし、最近は宅地造成、工場誘致、ゴルフ場開発などで里山の自然がどんどん消失している。
 日本で繁殖するサシバの数は、タカ類の中では比較的多い方ではあるが、サシバの将来は明るくない。
秋のタカ渡り
第1の集結地・伊良湖畔
“タカ一つ 見つけてうれし いらご崎”という芭蕉の句があるように、昔から愛知県渥美半島の伊良湖畔はタカの渡りが見られるところとして知られている。10月上旬、東北・関東・中部地方など、おもに太平洋側で繁殖したサシバたちが小さな群れとなって南下し、この岬で集結する。上昇気流に乗りながら高く舞い上がり、伊勢湾を通って、紀伊半島を目指す。
第2の集結地・佐多岬
サシバの渡りコースはいくつかあるが、もっともポピュラーなコースが伊良湖畔・紀伊半島・淡路島・四国・豊後水道・大分県・宮崎県・鹿児島県の佐多岬のコース。サシバたちは平均時速40キロでこの間を4〜5日かけて渡るようだ
佐多岬から宮古諸島・伊良部島へ
九州最南端、佐多岬。日本各地から集まってきたサシバで群れの大きさはさらにふくれあがる。サシバたちは北東の季節風に乗ってはるか海上の島々に向かい、再び旅立つ。
宮古諸島。伊良部島
ここはサシバの渡りの中継地としては日本最大。多い時はワンシーズン で4万羽から5万羽が島で休息し、渡っていったという。
 それ故、かつて島民はサシバを捕獲し、冬のタンパク源としたり、市場で換金するなどサシバと深いかかわりを持っていた。
 もちろん現在、捕獲は禁止されている。しかし、いまサシバにとって問題となるのは、繁殖地としての日本の自然破壊と越冬地となる東南アジアの国々の熱帯林の伐採ではないだろうか。