監督奮闘記 2015
 <福島 生きものの記録> 3作目を撮って
 

 2012年4月からはじめた福島通いも3年になった。最初から長くかかるだろうということは覚悟はしていたが、見えない放射能を映像にすることの難しさを痛感してきた。だが、今回は期待がないわけではなかった。何故かというと、初めて原発の核心部、5キロ圏内に入れる許可を得たからである。大熊、双葉、浪江町といったいわゆる帰還困難区域の生きものたちがどうなっているか、気になっていた。先ず、果たして野生動物が生息しているのかという疑問。それすら、何の情報も得られなかった。

 常磐道を降り、富岡町から国道6号線を走っていたら、福島第一原発へ向う交差点にさしかかった。行けるところまで行ってみようと進んだら原発正門ゲートに行き着いた。さすがに、敷地内に入ることは叶わなかったが、周辺を走っていたら赤く枯れた松林に出会った。チェルノブイリの赤い森を思い出す。
 人気のない大熊町でモニタリングポストを見つけた。数値を見てびっくり、22.90マイクロシーベルト/h。基準値は、0.23マイクロシーベルト/h。百倍近い。獣道を探し、大熊町と双葉町に自動センサーカメラを仕掛ける。映っていた!尻尾が細くいびつなタヌキ夫婦。痩せこけたキツネ。テンらしいものと、イノシシ親子。よくぞ3年半も生きてきたものだ。いや、もしかしたら、他所からやって来たのかもしれない?

 こうして始まった3作目。核心部へ入れたことでスタッフは元気になった。
もう一つ、秘密兵器が加わったこと。と言っても今では多用されているミニ空撮が可能なマルチコプター。近づけない除染作業現場や帰還困難区域を空から見ることで街全体の様子を捉えることが出来た。資金の乏しいわれわれにとっては、この上ない戦力となった。

 今回のサブテーマは拡散。福島県のみならず、大量に放出された放射性物質は、他県にも汚染が及んでいることの確認だった。宮城県角田市、丸森町ではツバメの異常報告。栃木県の中禅寺湖では釣り人に人気のあるヒメマス、ニジマスなどへの汚染被害。キャッチ&リリースで凌ぐ漁協の苦悩。茨城県霞ヶ浦では、流入河川からの低泥汚染で底に住む淡水魚の汚染。出荷制限されている魚種もある。これまで付き合いのあった、NPO法人「アサザ基金」の汚染対策の提案がユニークだった。継続調査のツバメ、アカネズミ。新規に、沼や溜池に住む野良ゴイの調査も始まった。

今回の取り組みで最も収穫があったのは、小出裕章(京都大学原子炉実験所・助教)氏の証言だった。

原子力や放射能の知識に乏しい私にとって専門家の意見を聞けたこと。小出さんは、先ず、福島第一原発の爆発規模は、広島原爆の168発分と教えてくれた。それが、東日本や北関東の大気中に広くばら撒かれたと。仮置き場の放射性廃棄物は持ち主の東電、福島第二原発所へ返せと。自分自身の悔恨を含め、夢のエネルギーに集まった巨大産業の暴走への怒り。そして、何の責任もない子どもたちへの謝罪など、厚く明快に語ってくれた。目からうろこの連続だった。

 秋も深まった11月。南相馬市と飯舘村を結ぶ幹線道路12号線の路上で出会ったニホンザルの一群。

道路端でせわしく食べ物を口に運ぶサルたち。激しく行き交う車。危険を省みず、その間隙を縫って移動するオスザル、子ザル、赤ん坊を背にした母ザル・・・。 いまなお、命を脅かされながら必死に生きていた。

 "福島シリーズ1作、2作目と応援、支援して頂いた多くの皆さまに感謝をこめて、多謝。






 
        サルの親子 イノシシの親子   
20154  
映画監督 岩崎雅典 


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